アメリカにおけるライト建築の保存活用~後編 アメリカにおけるライト建築の保存活用

非営利団体によるライト作品の保存活動

2回目の今回は、第2黄金時代以前の作品で近年新たに公開されるようになったものをご紹介しながら、それらの保存活用の現況について見てみたいと思います。

ブラッドリー邸写真1)は過去にはレストランや宿屋、事務所になることもありましたが、非営利団体「ライト・イン・カンカキー」によって2010年より一般公開されています。ウィリッツ邸へと展開するプレイリー・ハウスの萌芽として重要な作品です。(※1)

(※1)ライトの建築思想のターニングポイント No.1 ブラッドリー邸 参照

ここでは、居間と食堂の空間的繋がり方やチューリップ図案の見事なアートガラス(写真2)などが見所でしょう。すぐ隣にはヒコックス邸(写真3)も建っています。
写真1 ブラッドリー邸
写真2 ブラッドリー邸・アートガラス
写真3 ヒコックス邸
パーク・イン・ホテル(1909、アイオワ州)は隣接するシティ・ナショナル銀行と共にデザインされましたが、その後かなり改変されていました。しかし、70年代の国定歴史建造物指定を契機に修復保存の機運が高まり、2005年に非営利団体「ライト・オン・ザ・パーク」が組織され、2010年から修復工事が始まり、2011年8月に営業を再開しました。
近郊ではストックマン邸(1908)も、移築を経て一般公開されています。
リチャーズ小住宅写真4)はライトの量産住宅構想「アメリカン・システム・ビルド・ハウス(ASBH)」(※2)の”コテージB-1”にあたる住宅で、非営利団体「F・L・ライト・ウィスコンシン遺産観光プログラム」によって公開されています。

  • (※2)ライトによる量産型プレファブ住宅構想。様々なタイプの住宅を想定していた。
写真4 ASBH リチャーズ小住宅

両隣には公開へ向けて修復中の“二戸一住宅C”4棟写真5)と“コテージA”のリチャーズ・バンガロー写真6)が建っています。
2015年、ミルウォーキー近郊ショーウッド(写真7)とウィスコンシン州マディソンに、ASBHの住宅が新たに「発見」され、話題になっています。

写真5 ASBH 二戸一住宅C 4棟
写真6 ASBH リチャーズ・バンガロー
写真7 ASBH 新たに発見された住宅
バーク邸写真8)は暖炉と一体化した造付食卓によって食堂が居間の一部となっている点が、後のユーソニアン・ハウスに繫がる特徴として注目されます。

ここは2012年より、非営利団体「フランク・ロイド・ライト・トラスト」によって公開されています。

写真8 バーク邸
この団体はライトの保存活動にとりわけ重要な役割を果たしており、オークパークのライト自邸写真9)を所有し、ルッカリービル写真10)に本部事務所を構え、ユニティ・テンプル写真11)のツアーを運営し、ロビー邸写真12)を管理・修復しています。

また毎年5月頃、オークパーク一帯のライト作品のいくつかを一般公開する「ライト・プラス」という大イベントを主催しています。

ホテル付きの豪華パッケージ「アルティメット・プラス」に参加すれば、加えて別の複数のライト住宅でオーナーに内部を案内して頂く機会や夕食を共にする貴重な機会も得られます。ただし、お値段は、かなり張ります(2015年は約30万円)。

写真9 ライト自邸
写真10 ルッカリービル
写真11 ユニティ・テンプル
写真12 ロビー邸
ニューヨーク州バッファローでは、ダーウィン・マーティン邸写真13)を中心とする一画の保存・整備が進められています。
かつてこの区画には、マーティン邸をはじめ、マーティンの姉夫妻が住んでいたバートン邸写真14)、お抱え庭師のコテージ写真15)、温室、母屋と温室をつなぐ回廊、馬車庫、庭園等によって、第1黄金時代屈指の規模のライト建築複合体が構成されていました。

しかし1950年代になって温室、馬車庫、回廊が撤去され (近郊にあったライト設計のラーキンビル(1902)の取り壊しも1950年)、分断された敷地内にアパートが建設されたことで、複合体としての全体性は霧消してしまいました。

ところが、1986年にマーティン邸が国定歴史建造物に指定されたことを契機に、この区画の歴史的・文化的重要性に対するバッファロー市民の意識が高まり始めます。1992年に非営利団体「マーティン邸復元法人」が設立されると、敷地内のアパートが撤去され、取り壊されていた温室、馬車庫、回廊、庭が復元(写真16)、かつての複合体が蘇りつつあります。

現在も、バートン邸や庭師のコテージの所有権取得と公開、ビジターセンター整備等、保存・修復活動が精力的に進められています。

かくいう私も今年20年ぶりに当地を訪ね、一度は失われていた「ライトの風景」の現前写真17)に心を奪われました。

写真13 ダーウィン・マーティン邸
写真14 バートン邸
写真15 庭師のコテージ
写真16 マーティン邸に復元された
温室・馬車庫・回廊・庭
写真17 マーティン邸内観

周辺には非公開ながらもヒース邸写真18)、デイビッドソン邸写真19)があり、近郊にはマーティンが妻のために建てたサマーハウス、グレイクリフ写真20)も公開されています。

今やバッファローは、オークパークやリバーフォレストに続くライトの聖地の1つと呼べるのではないでしょうか。

写真18 ヒース邸
写真19 デイビッドソン邸
写真20 グレイクリフ

余談ですが当地には、計画案であったフォンタナボートハウス(写真21)(※3)ガソリンスタンド写真22(※4)ブルースカイ墓廟写真23(※5)が今世紀になって「新築」されて公開され、ライトの街としてのバッファローの宣伝に一役買っています。

  • (※3)オリジナルはウィスコンシン州に計画されていた。
  • (※4)オリジナルはバッファローの他の場所に計画されていた。
  • (※5)バッファローに計画されていたマーティン家の霊廟。
写真21 フォンタナボートハウス
写真22 ガソリンスタンド
写真23 ブルースカイ墓廟
イリノイ州グレンコーには、ライトが企画段階から関わっていたラヴィンブラフス住宅地内に7件の住宅写真24〜28、1915)が遺されています。

今年100周年を迎えることを契機に「グレンコー歴史協会」の呼びかけで整備が進められ、増改築されていたロス邸写真29)とペリー邸写真30)が当初の姿に戻され、住宅を覆い隠していた樹木が剪定されました。

ここではウォーキングツアーが開催され、先の2住宅については限定ツアーの形で内部も公開されました。

写真24 ブース邸
写真25 ルート邸
写真26 キア邸
写真27 キッサム邸
写真28 ブース・コテージ
写真29 ロス邸
写真30 ペリー邸
ここではライトがデザインした記念碑写真31)と写真32)がすでに再建されていますが、新たに鉄道駅(1911)の再建が検討されています。

周辺にはグラスナー邸写真33)やブリガム邸写真34)も遺されています。

写真31 ラヴィンブラフス記念碑
写真32 ラヴィンブラフス橋
写真33 グラスナー邸
写真34 ブリガム邸

今回紹介した事例は、地元の非営利団体によって保存・維持・活用が行われているものでしたが、これらの草の根的な活動を結びつけ、保存活用に有益なサポートを提供しようとする非営利団体に「ライト建築物保存協会」があります。拙訳書『フランク・ロイド・ライト建築ガイドブック』(丸善出版, 2009)原著もサポートしています。

彼らの活動はライト作品の改修・維持にあたっての具体的アドバイスにとどまらず、オーナーたちの交流促進活動や、ホームページ上での売出し物件情報公開など、多岐にわたっています。

毎年総会に併せて企画されるツアーは、会場近郊のライト作品(通常非公開作品含む)を見学する大変貴重な機会となっています。

また今回の事例の中には、国定歴史建造物指定等による市民の意識の高まりが契機となったケースが多く見られました。

2015年1月、アメリカ国務省が10件のライト作品のユネスコ世界遺産登録申請を行いました。ライトの作品の素晴らしさ、文化的価値の高さをさらに多くの人々に気づかせる契機となることが期待されます。

前編・後編と2回にわたって、アメリカにおけるライト建築の保存活用について紹介して参りました。日本にもライト建築を含む数多くの名建築がありますが、それらの保存活用は現代における重要なテーマです。さらに有効な活用方法について、今後も探っていきたいと思います。

写真・図面・解説文/ 水上 優 氏

この記事は2016年1月に発行した㈱淀川製鋼所社外PR誌「YODOKO NEWS」に掲載されたものです。
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