東京駅の設計者として知られる辰野金吾(※1)と、同級生である建築家・曾禰達蔵(※2)は、帝国ホテルの独創的なデザインに注目し、フランク・ロイド・ライトを「立体美術建築家」と称した。
確かに、ライトの作品の多くには、幾何学的構成が見てとれ、日本では立体派とも呼ばれていた。彼の独特のデザイン手法が“ライト風”として建築界で流行したのは、まさに建設中の帝国ホテル(写真1)の外観が少しずつ露わになり始めた大正10年(1921年)頃から昭和初期にかけてのことであり、昭和3年(1928年)竣工の旧総理大臣官邸(写真2)もまた、ライト風のデザインを取り入れたほどである。 ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)は、ライトが手掛けた数少ない貴重な住宅建築の遺構であるとともに、当時、多くの人々を魅了したライトのデザインを追体験できる貴重な建物といえる。
- (※1) 東京駅、日本銀行本店の設計者として知られるわが国最初の建築家。
- (※2) 東京・丸の内のオフィス街の基礎を築いた建築家で、多くの代表的オフィスビルを世に送り出した。辰野金吾とは工部大学校(現・東京大学工学部)の同級生
帝国ホテルの設計に携わっていた頃のライトの作品は、シカゴ周辺の地域からロサンゼルスを中心とした西海岸のカリフォルニア地域に集中している。それまでの草原地帯から砂漠地帯へと気候風土の異なる地域での仕事へと変化していたのである。シカゴ周辺でライトが完成させたプレーリーハウス(草原住宅)(※3)の造形的特徴は水平線の強調であり、それはシカゴ周辺に広がる草原の風景を現したものだ。ライトは、水平線を取り入れることにより建築と自然との融合・調和を図ったのである。同時に、内外の空間の連続性、建築と家具のデザインの統一性をも目指していった。
一方、カリフォルニア地域では、日差しの強い温帯地域であったことから、気候に即したデザインを展開した。それはおのずと草原住宅とは異なるもので、建築材料もコンクリートやコンクリートブロックが用いられた。カリフォルニア地域の代表作品の一つで、旧山邑邸との類似性が指摘されているバンズドール邸(1920年竣工)(※4)は、中庭型の住宅である。中庭側に大きな開口部を設け、内外の空間の連続性が意図されているものの、外観は陸屋根で開口部も小さな閉鎖的なデザインとなっている(写真3)。陸屋根は雨が少ない気候に対する処置、小さな開口部は熱の侵入を避けるための処置といえ、まさしく、気候風土に根差したデザインが展開されたのである。しかも、ホリホックハウス(立葵の家)の別名に象徴されるように、外壁には立葵をモチーフとした装飾が施され、立葵が群生する周囲環境との調和を目指したことがわかる(写真4)。
これらはデザイン自体は異なるものの、“自然と一体化する建築”という意味では、同じ建築であったと言えるだろう。そして、われわれは幸運にも、ライトが生み出した温帯地域の建築をこの旧山邑邸で見ることができる。外観の新しいデザインはもとより、歩きながら狭い空間や天井の低い空間、或は、広い空間や明るい空間といった質の異なる空間の変化を体感できるのだ。
- (※3) アメリカの広大な草原と一体となるよう、緩やかな勾配の屋根と水平方向に伸びた深い軒で構成された住宅様式。
- (※4) 旧山邑邸と同時期にロサンゼルスで設計されたライト建築の一つで「ホリホックハウス」の別名でも知られる。建築手法やデザイン面において旧山邑邸との共通点も多い。
写真・図面・解説文 / 内田 青蔵 氏