前編 旧山邑家住宅の応接室の意匠を考える

内装の塗装について。

 国指定重要文化財 旧山邑家住宅は、近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの鉄筋コンクリート造りの住宅の構造デザインを考える上でその存在意義は大きい。筆者は1985年の保存修理と1995年阪神淡路大震災の復旧工事の2度にわたってライトの独創的な構造技法に接する機会を得ただけに、尚更その感が深い。しかしながら、率直なところ南棟二階の応接室などの室内意匠に関しては、“どこか違う”という違和感を拭いきれないところがある。
 ところで、ライトの室内意匠には次のような特徴がある。オイルペイント(以下OP)は用いず、木材は素木、壁は艶消しの左官仕上げが基本。大きな壁面を同一に仕上げることを避け、光の加減に応じて微妙に色調を変えて“綾”や“むら”を演出。色彩に関してはヨーロッパで用いられる人工的な色を避けて、地域に根ざした自然の色を志向。これらは民家など日本の伝統木造建築手法に通ずる。
 だが、なぜか今見る旧山邑家住宅の室内は全面OPの光沢仕上げで、他の作品と趣が異なる。床柱とこばしらにペンキを塗った和風建築のような奇妙な印象を免れないのである。
 室内に残されていたOP仕上げが、果たして当初のものか、あるいは後に塗装されたものなのかということについては震災後の復旧工事に際して大きな議論になったという。ライトが帝国ホテル建設半ばで帰国したとは言え、氏のデザイン手法を深く理解していた弟子の遠藤えんどうあらたみなみまことがOP仕上げを施すとは到底考えられなかったからである。
 このため、下地から最表面の仕上げに至るまで、蛍光X線分析など最新の分析手法を駆使し徹底的な検討が重ねられたが、予想に反して最初からOP仕上げであったという結論しか導けなかったのである。こうして旧山邑家住宅は厳密な考証に基づいて、OP仕上げの竣工時の姿に修復されたのであるが、何となくしっくり来ないのは私だけであろうか。

建設中のデザイン変更。
 南棟はその構造デザインの巧妙さから見て、ライトが並々ならぬ力を注いだと考えられるにも拘わらず、応接室の異様に低い天井など意匠上の不自然さがしばしば指摘されていたが、保存修理工事に際し、実際には当初計画とはかなり異なった姿で竣工したことが明らかになった。

上の写真は現在の平天井の室内、下段の写真1はそれを撤去した状況。また右の図1梁間はりま 方向の断面である。応接室の天井高さは2mほどしかないのに、実はその上には更に2mもの空間が隠されていたことに驚いた。しかも、開角120度の三角形梁Aの斜辺を延長すると小窓B下面の水切りの斜面Cに完全に一致。またバルコニー側の天井中央にも写真2に示すように寄せ棟状に三角形梁Dが残り、一方北側の暖炉には煙突の装飾金物を取り付けるスリットEが天井の まわりぶちFの上部まで貫通。仕掛りで放置されていることが分かった。このことより元々は暖炉上の三角形梁Gの高さに船底天井(※)が計画されていたらしいことが分かった。
 このような天井裏に残る痕跡は、鉄筋コンクリートを用いた躯体くたいの施工が完了し、一部室内仕上げに入った頃、船底天井から平天井に設計変更されたことを物語る。次回はその背景について構造的な観点から考えたいと思う。

  • (※)中央が両端よりも高く、船底を逆さにしたような形状の天井。和室によく見られる。
図1 迎賓館断面図
写真1 天井を撤去した際の状況
写真2 バルコニーの三角形梁

写真・図面・解説文 / 西澤 英和 氏

この記事は2012年10月に発行した㈱淀川製鋼所社外PR誌「YODOKO NEWS」に掲載されたものです。
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