No.2 ライト設計の住宅は、時代と国境を越えていることを実感!

プレイリー・ハウスの代表作『ロビー邸』(シカゴ ミシガン湖畔近く、1905年)
大草原に融和するように水平線を強調した外観長く突き出た庇の部分には住宅で初めて鋼材(H形鋼)が使用された
ヨドコウ迎賓館 館長 柴田 直義
1998年3月、ヨドコウ迎賓館の館長に就任。以来、ライト建築への知識と敬愛を深める。(2010年6月館長退任)2001年夏、建築家 遠藤 楽氏(※)主催の米国ライト建築ツアー(10日間)に参加。アメリカ東部ニューヨークから中西部シカゴにかけて、ライトの代表的作品13件を訪ねた。

  • (※) 父親の遠藤 新氏はライトの帰国後、ヨドコウ迎賓館の実建築に携わった方で、父子共にライトの弟子。
「蒸気船」と揶揄された初期の代表作
F.L.ライト ホーム アンドスタジオ(シカゴ オークパーク)
プレイリー・ハウス発祥の地、1889年から1909年まで自宅とスタジオ及び建築研究所の役割を果たした
ツアー報告第二回目の今号では、訪問した個人住宅9邸のうち、特に私が感銘した作品についてご紹介します。
まずは、シカゴを中心に数多く設計された「プレイリー・ハウス」(草原住宅)の代表作『ロビー邸』から始めましょう。プレイリー・ハウス」というのは、住宅建築家として華々しくデビューしたライトが、中西部の大草原地帯にふさわしい住宅スタイルとして提唱したものです。低く横に伸びる建物は当時あまりにも革新的で、その外観から周囲の住民に「蒸気船」と揶揄されたそうです。しかし、出版物によって広く認知され、時代の先駆けをなす建築デザインとして有名になりました。さらに、自然との共存という思想は、現代にも通じるテーマと言えるのではないでしょうか。1963年シカゴ大学に寄付され、現在ライト財団による保存修理工事が行なわれています。
水平線を強調した外観デザイン、窓やバルコニーの多い開放的な空間、そして何よりライト建築を自由に見学できる場として公開されていることなど、ヨドコウ迎賓館との共通点を発見し、親近感を覚えました。

晩年の作品は、今も住まいとして活用
一方、デトロイトやニューヨーク郊外では、『落水荘』(1936年)を完成させたライトが、その後晩年にかけて手掛けた住宅を訪れました。ライト自ら「ユーソニア・ハウス」(庶民の家)と名付け、低コストで住み心地のよい家づくりに熱心に取り組み、プレハブ・床暖房など人件費や暖房器具費を省けるよう工夫された設計をしました。そのひとつ『レズリー邸』は、家族が増えることを想定して、当初から増築プランを組み込んだ設計となっていたそうです。また、『パーマ邸』の敷地内には、ライトの弟子ハウ氏の設計で日本の茶室をイメージした建物や庭がしつらえてあり、ホッと心が和みました。夫人のお手製の茶菓でおもてなしいただき、まさに一期一会の心境で去りがたいひとときを過ごしました。
1964年に設計された茶室風の建物と庭
『パーマ邸』(デトロイト郊外、1952年)建物の先端が丘に突き刺さるように埋め込まれ、景観に溶け込んでいる
『レズリー邸』(ニューヨーク郊外、1951年)ライトが設計した団地の中の一軒、木立の中に各邸が点在
日米共に天井は低く、空間の広がりを演出

ところで、ライトの住宅建築には一見してわかる特徴がいろいろありますが、今回私は天井の高さに興味を持ちました。と言いますのは、ヨドコウ迎賓館に来館された方から「日本人の身長に合わせて天井を低くしてあるのですね」というご感想をいただくことが多いからです。ヨドコウ迎賓館の場合、天井までの高さは低い所で2m弱。今回訪れた米国の住宅も約2.2mとやはり低く、日本人に合わせたのではないことが確認されました。(※2) ライト自身、標準的人間の身長(約173cm)を基準に天井を低く下げたと語っていたようです。
そして、低く抑えられた天井の先は長い庇や吹き抜けになっていて、空間の広がりを感じさせる演出が施されています。さらに、それぞれの部屋及びインテリアの一つひとつが生き生きと刺激的で、しかも全体の調和が保たれていることを実感しました。これがライトの標榜した「有機的建築」の一端なのかという思いを胸に、ライトツアーの聖地『タリアセン』を目指し、最終訪問地スプリング・グリーンに向かいました。

リビングから庭先へ三角形の庇が伸び、空間の広がりを演出(パーマ邸)
  • (※2) ライト夫人著「ライトの生涯」より

写真・図面・解説者/ヨドコウ迎賓館 柴田 直義館長

この記事は2002年7月に発行した㈱淀川製鋼所社外PR誌「YODOKO NEWS」に掲載されたものです。
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